泥より出でて泥に染まらず

底なし沼で立ち泳ぎしてるアラサー女のぼやき。

懺悔の缶ビール

薬を飲んですぐに安静にしたのになかなか寝付けないことに苛立った私はおもむろに起き出して、冷蔵庫からフルーツサイダーと缶ビールを取り出した。

フルーツサイダーは糖分でアルコールの分解を助けてくれて明日の朝少しは楽かなと思って。単なる気休めだけど。


本当はビールより日本酒や梅酒が飲みたいのだけど、家にあるのがこれしかないので我慢する。

飲めば少しはボンヤリして眠れるんじゃないか。そんな期待を込めながら缶を開けた。

小さな我が家は母の部屋と間続きで襖も閉めずに夜も過ごす。だから缶を開けたときのパキッという音にひどく怯えた。隠れてやっていることだから。後ろめたさが惨めさとなって染み渡る。一口目の味はよく分からなかった。


良心的な医師の元、規定の処方薬を正しく服用しているのだけど、なんとも言えないもどかしさと物足りなさを感じる。

恐らくそうしていなければもっと酷い状態なのに、今の程度で済んでいるだけでも御の字であるはずなんだろう。


だけど私はもっと上を求めてしまう。

もっとバリバリ働けるようになりたいし、記憶力や集中力も元に戻って、夜はグッスリ眠りたい。

たったそれだけではあるんだけど、私がそれを求めてしまうから色々と不都合が起こってしまうのだ。


私には不釣り合いな望みなのかもしれないと幾度となく絶望した。

フツウに暮らす幸せを私は望んではいけないのだろうか。望んだとしても、身体が先に悲鳴を上げて壊れてしまう。自覚としてはまだまだ行けると思っていても、この程度はストレスじゃないと思っていても、身体が様々な形で拒絶反応を起こす。

そうやっていつも不本意なブレーキに邪魔されて、いつしか夢とか将来とかを思い描くのも忘れ、ただ目の前の明日の我が身をどう生かしていくかを考えながら社会の沼地を泳いでいる。


いっそこの泥に溶け込んで形すらなくしてしまえれば、と思うこともある。

だってこんな世界で将来に希望を持てと言う方がどうかしてる。

貯金もなくまとまった収入もなく、体調の良いときだけしか風俗勤務はしていないので、日給は高くとも月収換算すればそれほどでもない。

役所の自立支援医療(精神通院医療)制度を受けているおかげで高い薬価の処方でもなんとか続けられているけれど、この先何かあったら精神障害者手帳の申請して障害者年金をもらって暮らすしかないのか、はたまた生活保護のお世話になるのだろうかと、そんなことをよく考える。


助けてくれる人はそりゃあいるかもしれない。これでも少ないながらも友人はいる。でも困窮した生活から引っ張り出してくれるほど手を焼いてくれる人は居るだろうか?

そもそも、助けて欲しい時に助けてくれる人がいつも必ず居るとは限らないのだ。


だから、なんでも自分でなんとか出来るようにならなくちゃいけない。

元々結婚も出産も望んでいない私は「おひとり様」のエリートコースを歩まんとしている訳で、家族や親族の援助やサポートも期待できないどころかむしろする側になりかねないし、そんな状態でサバイブしていくにはいまの私では余りにも弱すぎて頼りない。


とまぁ、こんな風に思い詰めてるから余計に深刻になりすぎちゃって気に病んでしまうんだろうけど。


でも、私を助けられるのは私しかいないんだよ。

手伝ってくれる人は運がよけりゃ居るかもしれないけど、決して救ってくれることはない。

究極のところで私を救えるのは他でもない私でしかないんだよ。


なのに、情けないねぇ。本当に困った子だよ。

どうしたらいいのかな。ねぇ、どうしたらフツウに生きられるの?